悪人正機(あくにんしょうき)は、
浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「 “悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である 」という意味である。阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「 悪人 」である。 よって自分は「 悪人 」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえる__という意である。
< 悪人と善人 >
「 悪人正機 」の意味を知る上で、「善人」と「悪人」をどのように解釈するかが重要である。ここでいう善悪とは、法的な問題や道徳的な問題をさしているのではない。また一般的・常識的な善悪でもない。親鸞が説いたのは仏の視点による善悪である。法律や倫理・道徳を基準にすれば、この世には善人と悪人がいるが、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼から見れば、すべての人は悪人だと浄土真宗では教える。
●悪人
衆生は、末法に生きる凡夫であり、仏の視点によれば「 善・悪 」の判断すらできない、根源的な「 悪人 」であると捉える。阿弥陀仏の光明に照らされた時、すなわち真実に目覚させられた時に、自らがまことの善は一つも出来ない悪人であると気づかされる。その時に初めて気付かされる「 悪人 」である。
●善人
親鸞はすべての人の本当の姿は悪人だと述べているから、「 善人 」は、真実の姿が分からず善行を完遂できない身である事に気づくことのできていない「悪人」であるとする。 また自分のやった善行によって往生しようとする行為( 自力作善 )は、「 どんな悪人でも救済する 」とされる「 阿弥陀仏の本願力 」を疑う心であると捉える。
●因果
凡夫は、「因」がもたらされ、「縁」によっては、思わぬ「果」を生む。つまり、善と思い行った事(因)が、縁によっては、善をもたらす事( 善果 )もあれば、悪をもたらす事( 悪果 )もある。 どのような「 果 」を生むか、解らないのも「 悪人 」である。
「 絆だ 」
「 食べて応援だ 」
善と思い行った事(因)が・・・・・点々々々。 W
「 覚醒のお手伝いだ 」
「 アセンションだ 」
善と思い行った事(因)が・・・・・点々々々。 W
ただの、ゼニ儲けじゃん・・・? W
「 我こそは日蓮の弟子なり 」
「 我こそは世界平和の仏子なり 」
善と思い行った事(因)が・・・・・点々々々。 W
ただの、現世御利益ゲロゲロ・シンジャ、じゃん・・・? W
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・・・・よって、
ここからが一番重要な、正気な「 正機 」ポイントになるが、
この世で典型的な「悪人」例は、神社仏閣に鎮座している
坊主・神主__という構図になる。
・・・あるいは、
覚醒のお手伝い_などと覚醒の『 か 』の字もない
その辺のゲロゲロ勘違いおばちゃん・おっちゃんら__の
地球や人を救っている勘違い・トンデモスピ連中・・・の無自覚・愚民大衆。
我こそは、善人中の善人__などという、
・・・おのれの真実の姿が分からず
善行を完遂できない身である事に気づくことのできていない
典型的「 悪人 」と成立している、表面善人さんの群れ群れ。
無自覚・ゲロゲロ善人モドキの、善人顔した「 真の悪人 」。
『 悪人なおもて往生を遂ぐ いわんや悪人をや 』
『 悪人( =善人顔した真の悪人 )なおもて往生を遂ぐ
いわんや悪人( =己は悪人の可能性が高い、という自覚ある真の善人 )をや 』
・・・つまり、
悪人が往生出来るのであれば、善人は言うまでもない・・・と言う意味だが・・・。
ここに凡夫・俗物・無明の者の奢( おご )りがある。
真理が分からず真の善の分別出来ない者に、善行など出来ようか。
そうした者の善行は、果たして利己的な要素はないか(「自力作善」(じりきさぜん))?。
そもそも全ての苦しむ民衆・衆生・人( つまり“悪人” )を一様に救済するとする
「 阿弥陀仏の本願(「他力本願」)」を疑ってはいないか。
___となる。
「 悪人正機 」では善人と悪人を対比しているのではなく、
善人というのは存在しない。悪人のみだ。
その悪人こそ、全ての民衆・衆生・われわれ___人です。
小さな存在である人が善行としているものも取るに足りないものと気づき、
全ての苦しむ民衆・衆生・人( =つまり“悪人” )を一様に救済するとする
阿弥陀仏の本願( 他力本願 )に頼み・念じ・身をゆだねよ、
という意味だな。
要するに、愚民情弱連中の
人類創世記から延々と続いてきている
まるで大きな勘違い・尊大で巨大な< 奢( おご )り >__問題、
というコトだ。
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覚醒時期版・現実人正機(げんじつにんしょうき)説
『 スピ人なおもて覚醒を遂ぐ いわんやリアル人をや 』
覚醒と縁も所縁もないような、そのご状態で
いかにして覚醒のお手伝いなんぞ、できまんの?
・・・ちゅう、こっちゃね。
スピ精神世界と、
リアル現実世界との、
”明確な線引き”__が、いまだにできていない
__というのが、いまのこの世界レベルの
一番の問題点になっている。
『 王様はハダカだ 』
・・・あるがまま、表現できるのは幼子だけ__問題。
どっちかの世界ワ〜ルドに、一旦潜り込めば
潜り込んだまんま・・
出てこなくなるんだ・・。
特に精神モドキ俗世世界では
『 王様はハダカだ_なんて言っちゃダメダメ_ですよ 』
・・・などという、あるがまま、生きられない__問題。
未だに、親鸞念仏宗・正機が有効な
世界__というコトなんだ。
いいえ、善・悪の等化は不可能です。
それは、最終的には善・悪の切断_になります
/オコツト
因みに、
< 悪 >の本質__『 他者 』を主体に生きるコト。
< 善 >の本質__『 自己 』を主体に生きるコト。
・・・金輪際、両者は等化・統合などできない。
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創造主永遠意識復活狂闘委員会< I・AM >