” 思いは心臓 ” で、” 想いは脳 ” で違う。
想いは走り、
相対する「 脳 」にて受想行識。
________________________________
蛇には善悪の判断は出来ないのです。
蛇霊は「 脳 」に働いているのです。
魂とは「 心 」であり、私達の肉体において血を送り出す場所を「心臓」と言います。これは、言葉上も魂は心臓に宿ると教えてあるのです。そして、もう一つには【 思い 】と【 想い 】の漢字はどう違うかと言うことなのです。辞書を紐解いてもよく解らないと思います。人の心臓は四室の「 田 」の字型に心で思いです。一方の「 想い 」は「 相対する心 」となります。いったい何が「 相対する心 」なのかです。人間の「 脳 」は、右脳と左脳で相対しています。その右脳と左脳では働きが違っています。この右脳と左脳の働きの違いは、既に医学や精神学で解き明かされています。それらを元にした人間の「 脳 」の働きを図式してみましょう。
< 受想行織 >の構造
※イラスト改変( < I・AM >責任 )
女性のスピリチュアル系の多くの人は、何かと言えば「 直感だ! 直感だ! 」ばかりで、邪神・蛇霊にコロリと欺されるは「 右脳 」の働きばかりで、「 左脳 」の働きを生かしていないからです。直感とは「 動物的 」感覚なのです。右脳の働きです。とてもその段階では本当の神には結びつかないのです。
左脳の働きを生かす為には、「 思考・論理 」を考える。聖書の「 始めに言葉は神と共に在った 」で解るように、「 言葉・文字 」に対する意識を変えないといけないのです。偉大な宗教家は、この「 思考・論理 」が非常に優れていたのです。いくらスピリチュアルで霊的な存在が見えたとしても、高次元と思っている世界は低次元界で、「 識( 左脳の働き )」がないと落ちて行く先は動物界になりかねないのです。
人は誰しもある種の「 体験 」をされていると思います。それは頭( 智慧 )では、この手を使えば儲かるとか得すると解っていても、それは正しい道では無いと自分を制御する自分の「 心 」があることです。それは自分の良心から発生します。脳の考え方と心の考え方の違いです。自己の良心を失った者には、そうしたことが起きないことから「 悪の道 」に手を染めて行きます。
多くの女性スピリチュアル系の方が何を言っているかといいますと、良心などは重いから捨てなさい。自由に生きなさいです。左脳の働きを知らないと、本当の神の世界には向かえません。いくら霊的なことが見えても聞こえても魂の点数が上がらないのです。病気治しは人助けになっても、甲、乙、丙の【 丙 】の段階です。霊が見える霊の声が聞こえるだけでは、神界の上層部には進めません。
大本教神諭、
この神( 国常立尊 )は病気治しの神ではない。
人の心の立て直しの神で在る
人の魂は「 人の肉体の心臓 」に宿ります。「 脳 」に在るのではないのです。思いと想いの言葉の違いからでも、こうやって説ける( 解ける )のですよ。国常立尊様が長年に渡って仕組まれた言葉による仕組みがあるからです。
スピリチュアルを脱却しないと、
創造神の言葉による仕組みのスケールの大きさが
まったく理解出来ないことになります。
では、人の肉体が持つ意識と心臓に宿る魂の意識はどうやって繋がっているのか、です。
たぶん、多くの方は今の自分が持っている考え方・思考そのものが
自分の魂の考え方・思考だと思っておられるでしょう。そうではないのです。
こうした事例がよく解るのは、俗に「 精神薄弱 」と呼ばれる方の魂を見ると、魂にはほとんど異常は存在しないのです。肉体のみに発生する現象です。その多くの魂は自分のカルマと言うよりも、その身が出る家系のカルマの解消の為にこの世に降りて来ているがあります。すなわち【 菩薩道 】の実践なのです。
仮に「 脳 」に魂があるのであれば、カルマの解消にはつながりません。肉体的に不自由があるから、その子供を必死に育てようとする親の苦労などで、家系のカルマの解消につながっているのです。決して「 魂の薄弱 」ではないのです。魂と肉体をつなぐ線が不自由なだけです。この世に出て来て、この世は面白く可笑しく生きないと損だと考えている人の魂よりも、その魂は死後の世界では高い世界にと進まれて行くのです。そうしたお子さんを授かった方ほど、苦労の賜であるにしても、天使を授かったと言われる意味はそこにあるのです。
この世の苦労なくして、
天人界に進む道などなし
自分はバカだからと、学ぶことを忘れてはいけないのです。自分はバカだからと逃げている人を見ますと、その方の本守護神は高い方であっても、副守護神と呼ばれる段階の霊が学ぶことを妨害しています。で、その副守護神格が少しずつ落ちていくと、これまで自分はバカだからと思って逃げていたことが、何だったのか、となります。だんだんと解って来るようになるからです。
自分の副守護神に従っていたのではいけないのです。
副守護神格は未だ地獄界から完全に抜けれていないのです
『 神言会氏 』部分抜粋
http://kamikotokai-b.jugem.jp
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五蘊仮和合ごうんけわごう( =人 )
●色蘊(しきうん、rūpa) - 人間の肉体。観察できる物質全て。
●受蘊(じゅうん、vedanā) - 感受作用
●想蘊(そううん、saṃjñā) - 表象作用
●行蘊(ぎょううん、saṃskāra) - 意志作用
●識蘊(しきうん、vijñāna) - 認識作用
受想行識亦復如是 じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ = 色 しき
色蘊( 一蘊 )+ 受想行識蘊( 四蘊 )= 五蘊
五蘊( 五根 )+ 心蘊( 一根 ) = 六蘊 = 六根 = 六織
●第六意識 = 六織 ろくしき = 顕在意識界
●第七意識 = 末那識 まなしき = 潜在意識界
( =六織界を俯瞰できる意識 )
●第八意識 = 阿頼耶識 あらやしき= 深層無意識界
( =末那識界を俯瞰できる意識 )
・・・ここまでが ”洗脳” される側の「受想行識」意識界。
「 創造客体者 」意識界。
●第九意識 = 九織心王真如の都 = 空( 有/無 )意識界
( =阿頼耶識界を俯瞰できる意識 )
・・・ここが ”洗脳” する側の
「 創造主体者 」意識界。
/般若心経・略解
・・・しかしながら、( 般若心経を超えて )ウチは違う。
色即是空・空即是色 = 『 無 』の幻想からの脱却は、
● 本諦(体)・即是< 我 >即是・ 仮諦(体)
● 空諦(体)・即是< 我 >即是・ 色諦(体)
色即是< 我 >即是空・空即是< 我 >即是色=『 永遠 』となる。
『 幻想の我( エゴ=I )/真の我( 実在=AM )』の共同相対統合作業。
『 わたし( ヒト )/あなた( カミ )』のカムナガラ作業。
無から永遠へ、
即是Be-ingの< I・AM > = 実在( 九識 )
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
創造主永遠意識復活狂闘委員会< I・AM >