神懸かり
- 2016.02.29 Monday
- 11:57
< カミ( 法則 )の宿り器 > = 肉体
肉体 = < 現実世界 >
スピリチュアルで、霊が見えた。
霊の声が聞こえた。それは霊的「 酔っ払い 」と同じなのです。
基本は健全な心の持ち主にこそ正しい神が宿るだからです。
●古来より、
●正神に奇跡無しと言いまして、
●正神は「 奇跡 」を見せないのです
そうしたことも理解せずに、バカの一つ覚えのような愛を贈りましょう等と言っているスピリチュアル等で見る霊的映像とは、霊的酔っ払いが見ている映像に過ぎないのです。
日本神道では「大麻」という言葉を使いますが、元々「大麻」は古代のシャーマン達は日常的に使っていたのです。薬の効能の他に大麻によって一種の「エクスタシー」を得られたわけです。日本の古い密教の一派に「立川流」と呼ばれる派が存在しました。俗に「セックス教団」と呼ばれる派です。江戸時代に弾圧によって断絶されたとしますが、昔の時代劇映画などではこの教団が「阿片」などを吸って性交している様などが出て来るがあります。この立川流とは、男女の性交によってエクスタシーを得ることで、大日如来と一体化するを目的としていたわけです。
●エクスタシー( 脱魂 = 幽体離脱 = 魂が肉体から抜け出て宙をさまよう )
そうしたことから神と一体となる「 至福感 」とか「 絶頂感 」を得たわけです。ですから麻薬とシャーマニズムは無関係では無いなのです。麻薬を使うということは、強制的そうした感覚におちいるわけです。ただ、私はそうしたエクスタシーが神との一体感と聞かれたならば、意味が解らぬと言います。エクスタシーでは魂が何一つ磨かれないからです。
私が最初の師匠のところに居た時、その師匠の側に非常に優秀な完全霊媒者が2名おられました。で自分の肉体を霊に貸している間、御本人はどこに行っていたのだと問います「 お花畑 」に居たと言います。エクスタシー( 脱魂 )でお花畑に行っていたわけです。だが、それは神との一体化ではないのです。こうした麻薬を使用していますと、やがて「 幻覚とか幻聴 」症状におちいります。霊が自分を襲って来る。殺しに来る。そうした幻覚とか、お前を殺すと言う幻聴です。しかしそれはスピリチュアルで見ている幻影とか幻聴とさほど異なる ではないのです。
一部に「 ヘミシンク 」が言われます。ヘミシンクに麻薬は使いませんが、私の最初の師匠の御祭神であった豊受神様は「 ヘミシンク 」をすれば将来は廃人になるとまで言われました。やがてその精神は破壊されて、幻影とか幻聴の世界に入って行くのであって、ヘミシンクで霊的映像を見た。霊の声を聞いても麻薬と同様に危険なのです。本当の霊的世界に関わっているわけではないのです。
自分に創造神が降りて来る等と平然と言うスピリチュアルの方が多いのですが、私の以前のブログに「 自分を観音菩薩として祀れと言った大白蛇霊 」を書いておりますが、それを体験された方に起きた出来事は「 光 」に打たれて、もう死ぬかと思ったと言われるほどの光で、最初はその光が創造神かと思ったと言われます。それは創造神ではなくて、大白蛇霊だったからまだ良かったのです。その光に耐えることも出来たのです。もしも本当に創造神などと呼ばれる段階の光を降ろしてしまいますと、命の保証などないのです。完全に肉体の脳が破壊されて「 発狂 」を起こしてしまいかねません。
創造神は霊媒には懸からないとされますが、創造神が降りる肉体とはその肉体の魂そのものがそれに準じた魂の持ち主で、最低でもイエス級が要求されます。そうした光に耐えることが出来るように時間をかけて育成されて行くもので、誰にでも簡単に降りられる存在ではないのです。霊媒だからと言って創造神等は降ろせないのです。すなわち霊媒者に創造神と称する者が降りたらニセ物霊なのです。
●高級神霊を降ろすと発狂( 精神病 )につながる
スピリチュアルだ。スピリチュアルだ。と言っている人達の中には、意味不明の支離滅裂の事を言う精神分裂症とか、自立神経失調症とか、精神医の元に行くと精神病と判定されるタイプの方が意外に多いのです。だが、そうした方達を霊能者が治癒出来るかと言えば出来ません。大本教の出口王仁三郎聖師にしても、時の特高警察による拷問で精神を患われた出口日出麿さんを治せなかったのです。
●精神病と神懸かりは「 紙一重 」の差なのです
スピリチュアルだスピリチュアルだと、変な憧れを抱かないことです。それこそ、「 廃人 」覚悟ですか なのです。スピリチュアルで有名な「 スエーデンボルグ 」は、晩年は精神を患ってしまったことが知られています。
自分の魂を磨いておくことは、
高い神の宿りとなり、
自分の精神を高めるのです。
神言会氏
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一般人は霊体凝結のための行法など知らなくても、生業( 社会生活 )を通して ” 他者のために尽す ” という基本姿勢が確立されていればオッケー。精神行法や肉体行法などのテクニックに囚われていれば、天狗・狗賓界( 幽胎界 )に直行する。あたりまえを当たり前に・・・。
●体外離脱( 昔の体外鎮魂行 )
●数霊術
●チャネリング
●アカシック・レコード
●ヨガ・レイキ
●ヘミシンク
●エドガー・ケーシー
●シュタイナー
●スェーデン・ボルグ
●フラワー・オブ・ライフ
●オーム真理教
●大本教
●統一教会
●創価学会
●幸福の科学
●風水術
●巷間の占術・占い
●巷間の西洋二元性ニューエージ・スピリチュアル
ひとにはそれぞれ、1/霊縁、2/道縁、3/神縁、というモノがあり、上記行法をアタマから全面的に否定するものではないが・・この「 縁 」である宿命からは逃れられない。浅い 1/霊縁 状態では、道や神のことは理解できない。縁があるものは疑問が湧き、いずれ脱皮していく。つまり、道縁 = 玄道 に縁があるならば、玄学の端緒を掴める。3/神縁 に縁がある人となれば、数えるほどしかいない。
※ 他に対する慈しみの念無くしては修道は成就しない。そこが分水嶺になっている。相手の性格や人格ではなく、魂の『 霊格 』で判断すれば、あまり振り回されることはなくなる。魂にはそれぞれ、性や格がある。
※ 狗賓界の「 愛の度数 」ではなく、『 霊性 』『 霊格 』。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
創造主永遠意識復活狂闘委員会< I・AM >
- -
- comments(0)
- -